オバマのママの物語(1) (TIME)

     TIME April 09, 2008
     The Story of Barack Obama's Mother by Amanda Ripley


実際、ひとは矛盾に満ちた人生を生きている。たった一本の道を進んでいるわけでは
ないのだ。S・アン・ストロは少なくとも 1 ダースの異なる道を歩んできた。
後に人類学の博士号を取得した彼女は 10 代の母で、生まれ育った米中西部よりも
インドネシアのほうが性に合っていた白人女性で、働くことの大好きな生まれながらの
母親で、こういう言い方ができるなら 「ロマンチックな現実主義者」 だった。


「思うに、母には確固たる自分というものがあった。
しかしそれはまた、無謀とも言えるものだった。
彼女は常に何かを探していたように思える。
自分の人生を一つの型に嵌めることを嫌っていた」


アンの息子であるバラク・オバマが、つい最近こう語った。


オバマの母親は、夢見るひとだった。時たま成果を上げるだけのリスキーな賭けに出て、
子どもたちはその選択に耐えなくてはならなかった。何も知らない遠い異国の学生と 2 度
恋に落ち、その末の結婚は 2 度とも破綻し、2 人の子どもを育てるために両親と友人を頼みとした。


娘のマヤ・ストロ・ンの話。


「母はとても涙もろいひとだったわ。虐待される動物や子どもをニュースや映画で見るたびに、
あるいは自分の言うことが理解してもらえないと感じるたびに、泣いていたもの」


一方で、怖いもの知らずの面も持っていたと言う。


「とても能力の高いひと。苛酷なフィールドワークへもオートバイのバックシートに
乗って出かけていたわね。彼女の研究は信頼に足る、洞察に優れたものだった。
何が問題の核心かが分かっていたし、誰に問題の責任があるかを知っていたし」


オバマは、母親のかつての姿を反面教師とした部分もあるようだ。
ティーンエイジャーの頃、見知らぬ土地で母親と離れて暮らすことを求められたが故に、
現在の彼は自分の子どもたちを地元中西部に根づかせようと努めている。
「妻とわたしは、子どもたちに安定を与えている。それはわたしの母が、
わたしたち子どもに与えてくれなかったものだ。わたしがシカゴに根を下ろし、
ひとつ所で代々続いた家の女性と結婚したことは、おそらく、わたしが安定というものを
強く欲していることを示している。かつてのわたしが持ち得なかったものだ」


皮肉なことに、オバマの人生における最も重要な人物について、わたしたちは
ほとんど何も知りはしない。それはおそらく、いまだに肌の色が何にもまして
問題となる米国では、アフリカン・アメリカンであるとは即ち黒人であると
いうことだからだ。彼のことを物語る準備は、まだ十分に整ってはいない。


しかし、オバマが彼の母親の息子であることにかわりない。
過去をではなく未来を語る彼の広範な理論立てには、疑うことを知らない母親の影響が
見てとれる。オバマの元には、これまで政治を全く信用していなかった人々からの寄付が
集まっている。彼らはオバマの能力に期待しているのだ。イデオロギーをなぞるのでない、
自由で力強い理論を展開する能力は、まさに母親譲り。自身とは異なる考え方の
何千という人々を動かして大統領に選ばれる日、それは宝石をつぶさに
品定めするような目線で異文化と向き合った両親を持ったことの延長にあるのだ。


まず希望を語るのは、母から受け継いだオバマお家芸だ。
その希望の実現性が疑われない限り、彼は支持されるだろう。


大統領予備選挙において、候補者の亡母のことなど、候補者プロフィルの
主題とはならない。だがアン・ストロは凡百の母親とは違う。

チンパンジーが打ち鳴らす警鐘(BBC、10月17日付)

ここ 20 年弱の間にその数が 90 %減少した。

     BBC October 17, 2008
     African chimps decline 'alarming'

「保護を真剣に考えるのなら、保護し、それを持続させるための投資が必要だ」
——クリストフ・ボッシュ教授(マックス・プランク進化人類学研究所)


このたびの研究発表によれば、チンパンジーの巣は 1990 年の調査時から
90 %減少していた。これはつまり、彼らの数が当時の 1 万 2000 頭から
約 1200 頭にまで壊滅的に減少したことを示している。


その主要因は森林の乱伐と密猟の増加であるという。


調査の詳細は「Current Biology」誌に発表されている


コートジボワールはニシチンパンジー(学名:Pan troglodytes verus)の最後の
営巣地のひとつであり、8000 〜 1 万 2000 頭が生息すると考えられていた。


この推計は、1989 年から翌 90 年にかけて実施された全国調査に基づいている。

劇的な減少


ところが、2007 年に前回と同様の手法で行われた調査で、
その推定が全くの間違いであることが判明した。


研究チームは次のように述べている。
「調査結果は、チンパンジーの数が切迫した状況にあることを示している。
彼らの姿をこの地上から消し去ってしまわないためには、いますぐ行動を
起こさなくてはならない」


今回、研究チームは 17 年前に訪れた 11 カ所で再度の観察を行った。


「前回チンパンジーを観察した多くの場所で、彼らの痕跡すら全く見られなかった」
と、前回調査にも参加した共著者、独マックス・プランク進化人類学研究所長
クリストフ・ボッシュ教授は述べる。


「減少は予測していたが、まさかこれほどとは思ってもいなかった」


ボッシュ教授によれば、密猟・森林乱伐の増加は人口の急激な増加と軌を一にする。


1990 年に 1200 万人だったコートジボワールの人口は、現在は推計 1800 万人。


「森林は、換金作物その他をつくり出すために伐採されている」


「そしてチンパンジーも他の動物と同じく、食肉として狩られている。
西アフリカを含むいくつかの地域で、いわゆる『誰もいない森症候群
(empty forest syndrome)』が観察されている」


「森自体は無傷であるにもかかわらず、狩猟によって動物がいなくなってしまうんだ」


複数の研究者が、人口増加と密猟・森林乱伐はリンクしていると述べている。


また、2002 年以降の不安定な国内情勢が問題を悪化させているとも言う。


しかしボッシュ教授は、この厳しい状況の一方で、
一条のかすかな希望の光を見出している。


タイ国立公園内にある営巣地では、その地方のチンパンジーの数は
まずまずの状態にある。


「そこと他の地域との違いは、第一に、そこが国立公園の中にあるということだ。
つまり、密猟から完全に保護されている」


「第二に、政情が不安定な時期には国際保護活動の支援を受けていた」


この 2 つのポイントが相俟って、長期にわたるチンパンジー
生存保護を可能にしているとボッシュ教授は言う。


「保護を真剣に考えるのなら、国際社会には保護すると同時に、
それを持続させるための投資が求められる」


しかし、と彼は続ける。もし保護のための地球規模での努力を
得られないならば、彼らの暗澹たる未来は変えられない。


「ヒトに最も近しい彼らが生き長らえられない事態をもし捨て置くのなら、と
私は私自身に問うてみるのだがね」


「ヒトの未来は、どうなってしまうのだろうね」

際立つペイリンの変人ぶり(NYTimes、10月17日付)

     The New York Times October 17, 2008
     Whale Protection Is Bolstered as Palin Objects by William Yardley


17日、連邦政府アラスカ州クックインレット(クック入り江)に生息するシロイルカ
絶滅危惧種としてリストアップした。アラスカ州知事サラ・ペイリンほかが
決定の棄却を求めている。


アンカレッジの街からでも目にすることのできる(イルカというよりも)どちらかと
いえば小型の白いクジラは、その数を 1990 年代末のほぼ半数にまで減らしており、
アラスカ先住民による狩猟の停止を含めた保護策にもかかわらず増加していない。
立海洋大気圏局海上漁業部(NMFS)の研究者によれば、過去 2 年間
クックインレットで確認されたシロイルカは約 375 頭である。


NMFS 部長代理ジェームズ・W・バルサイガー博士は公式発表の中で
「最善の手は尽くしているが、まったく回復していない」と述べている。
シロイルカは絶滅の危機にある」


『絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律(the Endangered Species Act)』に
基づいた行動計画の発表によって、環境問題におけるペイリン知事の立場が注目されている。
共和党の副大統領候補である彼女には、気候変動に関する曖昧な発言や、今年初めの、
結局失敗に終わったもののホッキョクグマ絶滅危惧種指定を阻止しようとした提言のために、
懐疑的な目が向けられている。


シロイルカのリストアップに反対するペイリンの提言は、ホッキョクグマのときと同様に、
沿岸および沖合いの石油・ガス開発を制限する可能性があることを理由としている。
また今回の決定は、アンカレッジ港の拡張や、ニクアーム湾をまたいで
マタヌスカ=スシトナ渓谷とペイリン地元のワシラを結ぶ橋の建設といった
計画にまで影響をおよぼすかもしれない。


2007 年 8 月、ペイリンは絶滅危惧種リストに反対する提言の中で述べている。
「連邦のリスト作成はまったく不必要であり、絶滅危惧種という名称を冠することで
クックインレット地域の活気ある経済に長期的で重大なダメージを与えることを
忘れてはならない」


17 日には「わが州は何年間も、クックインレットにおけるシロイルカの減少に多大な
関心を払ってきた」とした上で、だが絶滅危惧種指定は「時期尚早である」と述べた。
ホッキョクグマが指定されたときと同様、彼女は連邦政府が示すデータに挑みかかったのだ。


アラスカ漁業狩猟局局長デンビー・S・ロイドは、州のデータは「2004 年の
278 頭から現在の 375 頭に 30 %増加した」ことを示していると言う。
(NMFS は 2005 年の 278 頭と同程度に低い数字であるとしている)


テッド・スティーブン上院議員共和党)の連邦議会における議席を虎視眈々と狙う
マーク・ベギチ・アンカレッジ市長(民主党)もまた、アラスカ湾拡張を阻害する
可能性や「排水処理のための非常に高価な新設備」がアンカレッジに課せられることを
引き合いに出して、絶滅危惧種指定を批判している。リサ・ムルコウスキ上院議員
ドン・ヤング下院議員(ともに共和党)も指定反対の立場だ。


漁業当局によれば、クックインレットのシロイルカは、米国の水域に生息するシロイルカ
——そのすべてがアラスカ海域に生息するのだが——のほぼ 5 分の 1 に相当する。


海棲哺乳類保護法(the Marine Mammal Protection Act)』の下では
2000 年以降、シロイルカは絶滅したものと看做されてきた。漁業当局が
17 日に下した決定は、2006 年に環境グループから提出された陳情への
対応である。アンカレッジの環境派弁護士ピーター・ヴァン・トゥインは、
当局がシロイルカの危機を認めたことを多少の驚きをもって喜んでいると述べた。


「漁業当局が政府命令以外でなんらかのアクションを起こすなんて、いまだかつて
見たことがない。これで絶滅の危機を脱することができるなら、素晴らしいことだ。
その生息数を見れば、ほかに選択肢があるなどとは、とても思えないのだがね」


漁業当局は、シロイルカの生息数の回復は、いくつかの要因によって「潜在的に阻害」
されたのだと言う。シロイルカ座礁——クックインレット内の潮の急激な変化が、
シロイルカの大きな群を浜に打ち上げる——、一般的な開発、石油・ガスの探鉱、
水質汚濁をその要因として挙げている。当局は「 1 年以内に、クックインレット
シロイルカの保護地域を特定する法令の作成に入る」としている。

わたしはかんじがよめません


薬(猫の)とエサ(猫の)を受け取りに病院(猫の)まで行った帰りに本を買った。


  奥本大三郎パリの詐欺師たち』(集英社


ここ数年の経済的な事情からハードカバーの新刊本を買うのは随分と久しぶりだが、
「パリ」「奥本大三郎」とくればピンポイントである。買わずばなるまい。


主人公は奥山先生である。奥本氏本人のことであろうが、「先生」という呼称をつけて
三人称で叙述するため、さすがに「奥本先生」とはし得なかったのであろう。


退屈したので奥山先生はパリに行った。
パリですれ違った日本人が同朋である自分に対してあからさまにそっぽを向いて、
奥山先生は昔読んだ文章を思い出した。
昭和 6 年にフランスに渡り 32 年に帰国した彫刻家が、思想と感情を結びつける表現に
フランス語は優れており日本語にはそれが欠けている、と述べているのを読んで
本気で腹を立てたのだそうである。


  フランス語を少し学んで本当の語感の無い人間がよくこういう
  カン違いをする(中略)日本語という下駄で思うように歩けない
  のでフランス語という靴に履きかえようとする。それがまるで、
  一歩で百里を行く靴のように考えているのだが、言葉というもの
  は履き物でも乗り物でもなく、人間の肉体そのものなのである。


  マラルメヴァレリーを直訳してみせ、「これを口語で訳しても
  文語で訳してもリズムは全く失われてしまう」とか「傍線した
  言葉は、全然意訳しない限り語感もありません」と言う。それは
  あたりまえ、訳が下手なのである。(中略)外国語の詩を直訳し
  たものが詩にならぬのは当然で、日本語云々の問題ではない。
  優れた和歌や俳句は翻訳できないけれど「この頃の詩」は、翻訳
  すると元のより立派に見える、などと言うのは、これもあたり
  まえの話。要するにこの頃の詩が下手くそだから、というだけの
  ことなのである。


このくだりは日本語を文語に、フランス語を口語に置き換えれば、
ふたつの「即興詩人」”で書いた以下と重なるようであるし、


  文語で表現しきれないものを表現するために口語を手に入れたわけだけど、
  だからといって表現すべきものを手にいれたわけではない。
  逆に「これでなんでも表現できる」と思い込んでしまって、それを使って
  なにをどう表現するかを考えることを停止してしまった、のではないのか。


  「これがあればなんでもできる」と思ってコンピューターを買ってはみたものの、
  ではさて、それでなにをやるかが思い浮かばず、結局年に1回起動して年賀状を
  プリントするだけ、というのに似ていませんか。


さらに「言葉というものは履き物でも乗り物でもなく、人間の肉体そのものなのである」
とは、故山本夏彦翁がシオランを引用して言う「祖国とは国語だ」に通ずるものでもあろう。


奥山先生は翻訳家でもある。


  ある文学賞のパーティーで同業のフランス文学者、鹿島茂氏に
  あって、翻訳の話になった。彼もバルザックの翻訳で苦労して
  いると見えて、
  「あっちは語彙が多いから」
  と言った。
  同じパーティーマラルメ研究の菅野昭正先生も来ておられた。
  (中略)さっきと同じ話を、今度は質問にしてみた。するとマラ
  ルメの翻訳で苦労している先生は、苦々しげにこう言われた。
  「語彙があっても使えないよ」
  菅野先生の先生筋に当たる鈴木信太郎大先生が初めてマラルメ
  を訳された頃、明治生まれの大先生方は、どんな難しい語彙で
  あろうと、平気で使っている。当時はそういう言葉を知らなけ
  れば、知らない方が悪かったのである。
  しかし今は違う。難しい漢字なんか、使う方が悪いのである。
  フランス語の訳として、当てるべき日本語がいくつあったとし
  ても、難しすぎたり、古めかしくて使えないものが、お役所の
  御指導のせいもあって、どんどん増えている。


  戦争に負けて軍人が威張らなくなったのはいいけれど、儀式が
  簡略化され、賞状の文句がいかめしいものから猫撫で声のもの
  になり、誰にでも解る言葉を、と心がけているうちに大人が子
  供みたいな言葉を使うようになった。


自分は某出版社某編集部の一隅に席を与えられ、他人様が書いた原稿を読んで過ごす
のが目下の仕事である。
出版社では社ごとに表記ルールが決められ、出版物の表記は統一されるのが普通、の
ハズである。ところがそれをイヤがる執筆者も中にはおられる。
ある言葉を表すのに漢字にするか仮名にするか、漢字としてもどの文字をあてるかに
その人なりの拘りがあり、手を入れるなど罷りならんというわけである。


そうした拘りには、それならそれで原稿の中で表記を統一してくれよと思う以外に
異を唱えるつもりはないが、その中でも特定の編集者から渡される原稿は、やたらと
仮名が多い。
あまりに仮名ばかりなので当の編集者にお伺いを立てたところ、読みやすくしたいので
漢字はあまり使いたくないとのことである。つまり仮名が多いのはその編集者の意向に
沿ってということなのだろう。


かなばかりがずらずらとならぶ文章は、とくにモニターなどで読むばあいにはひじょうに読みずらいと思っていたじぶんにはとてもいがいな考えかただった。


「可読性(かどくせい)」という言葉がある。
可読性がよい(高い)、可読性が悪い(低い)とは、読みやすい、読みにくいと
いうほどの意味である。
メディア(表示媒体)での表示方法まで含めた広い範囲で語られる概念なのだが、
文章の表記の仕方に限ってみても可読性の高い表記もあれば低い表記もある。


アルファベットで書かれた文章が読みやすいのは、単語間にスペースが置かれて
単語単位で結構を把握できるからである。
スペースが一切ないアルファベットの羅列は、間断なく並ぶキャラクター群のどこから
どこまでが一単語であるか瞬時に判別できるだけの語彙力がなければ、読み下すのは
相当に難しいに違いない。


もっとも、アルファベットによる表記法でスペースによる分かち書きが行われるように
なったのは 7 〜 8 世紀頃らしいが、それ以前は「黙読」ではなく「音読」が一般的で、
「読む」というよりもリズムやメロディーを伴って「歌う」に近いものだったのでは
ないか。テキストは口誦・口承の補助的な役割を果たせればよく、「黙読のしやすさ」
などという考え方は必要なかったのだろう。


対して、現代の各メディア上で表記される黙読を前提とした日本語テキストは、
どのように単語を把握し構文を理解するのか。


句読点はあるが、これの役目は欧文のスペースに相当するものではない。
スペースと同様に用いられるのであれば単語ごと、あるいは文節ごとに読点が打たれる
ことになる。文章を書き慣れない人の文章では珍しいとも言えない用いられ方だが、
構文によっては文意がさっぱり分からなくなる。
実はここに、漢字仮名まじり文という日本語表記の持つ機能が、大きな役割を果たして
いるのである。


ごく単純に言えば、名詞と活用語の語幹は漢字、その他と活用語尾は仮名(代名詞・
副詞・接続詞・感動詞に漢字をあてることもあるが)と書き分けることで、視覚的に
単語の区別を容易にし、文章の可読性を高めているのである。
仮名ばかりの文章は、スペースのないアルファベットの羅列と同じではないか。


漢字ばかりの文章は読みにくいという人がいる。
これは可読性(読みやすさ)の問題ではなく、「わたしはかんじがよめません」と
言っているだけのことである。
分からない漢字があるなら辞書を引けと思うが、そういう人はその手間を惜しんで
自分の知らない漢字を使うなと威張るのである。奥山先生が「当時はそういう言葉を
知らなければ、知らない方が悪かったのである。しかし今は違う。難しい漢字なんか、
使う方が悪いのである」と言う所以である。
そして出版社の編集者が、それを率先するのである。


ところで『パリの詐欺師たち』である。
タイトルは「詐欺師たち」と複数だが、読む限りにおいて「詐欺師」と呼べそうな登場
人物は「平田」一人である(「詐欺師」ではなく単なる「大ボラ吹き」という気もするが)。
なぜ「パリの詐欺師」ではなく「パリの詐欺師たち」なのか。
平田のモデルが実は一人ではなく複数の「大嘘つき」を一人のキャラクターに押し込んだ
のか、バウチャーを発行しながら勝手にホテルの予約を取り消して「会社の組織がこれだけ
大きくなりますと、誰が何をしているか判りません」と言う M トラベルをも「詐欺師」と
言っているのか、彫刻家がヴァレリーの訳で「夜々」と複数形にしたことに対する皮肉か、
はたまた、このストーリー自体が「フィクションですよ、だから主人公もわたし“奥本”
ではなく“奥山先生”になってるでしょ」(わたしも「詐欺師」の一人なんですよ)という
含みなのか。


なんにせよ、「平田」のような人物が目の前にいたら、自分ならブチ切れているだろう。
そんな相手に対して、日記に「何ぬかす アラン・デュカスが腰ぬかす」と書きつけて
面白がることのできる「奥山先生」は度量の大きい人物だなあと感心するのだが、
その先生をもってして離婚やむなしに至った元奥さんとは、どのようなキャラクター
だったのだろう。
知りたいような、知りたくないような。

ふたつの「即興詩人」


最近はノーミソの筋肉が疲れていて、うちに帰ってまでネットにつなぐのが
メンドクサくなっている。
仕事で1日8時間以上、ネットで調べものばかりしているからね。
当然メインの仕事道具はコンピューター。


なぜそんな調べものをしているかというと、他人様の書いた文章を読んで、
そこに書かれている内容が正しいかどうかをチェックして、
もし間違いがあれば指摘するのが目下の仕事だからです。
一般にこれを「校閲(こうえつ)」といいます。


好きでコンピューターを扱っている友人とかに尋ねると、
みな毎日コンピューターに向かっていても「苦にならない」と答えるのですが、
自分はコンピューターが好きではないので、キャパシティーを超えると途端に
嫌気がさしてくる。


文章を読むのは嫌いではないので、それなら現在の仕事は
コンピューターと文章でプラマイゼロかというとそうでもなく、
そこに書かれている分野に興味があろうとなかろうと
アタマの1字からオワリの句点まで2度3度と読み直し、
おまけにウマい文章ならまだしも、あなたの人生どこをどう間違って
この原稿を書くハメに陥っちゃったんですかと逆に同情したくなるような
文字の羅列を、これはひょっとしてこういうことを言いたいのだろうかと
類推しながら読みこなすのは、なかなかツライものがあります。


そんなこんなで、うちに帰ってまでも文字なんか見たくないと思っているのですが、
まさにその理由から「文章」に対する飢餓感もわれ識らずしんしんと
降り積もっているらしく、ここひと月ほど帰宅してからは本を読んでいました。
といっても、新しく買ったのではなく、棚から古い本をひっぱり出して。


そんな中でも、森鴎外訳『即興詩人』(宝文館出版/昭和44年刊)は新鮮だった。
買ったのは随分と前だったのですが、お話自体はそれ以前に岩波文庫版で読んでいて、
あんまりおもしろいお話とも思えず、世に「名訳」と言われる鴎外訳を
古本屋で見かけて買ってはみたものの、なんとなく読みそびれていたわけです。
それを今回、どれどれと思って読んでみた。
いや、おもしろかった、アヌンチヤタ(アヌンツィアータ)の遺書には泣かされた。


鴎外訳と岩波文庫版でなにが違うかというと、まず訳者が違う。
当たり前ですが。


岩波文庫版の訳がヘタというわけではないと思うのです。
まがりなりにも、かの「岩波書店」から訳書を出そうというのに
そうそうヘンなひとを使うわけにも、いかんじゃないか。
もっとも、故山本夏彦翁は日本語をダメにした元凶のひとつに
「岩波語」を挙げておられますが。


うーん、まあ確かに岩波文庫版の文章は読みづらくはない、
すらすら読めるけど、「読んでおもしろい文章」ではないな、と思う。
原作者がアンデルセンというところにこだわって、
無理矢理「童話」にしてしまおうとしているような。
例えば村上春樹倉橋由美子が訳していたら、
また違うものになっていたことでしょう。
倉橋由美子、亡くなってしまいましたね、残念ながら。


えー、鴎外訳と岩波文庫版でなにが違う。
鴎外訳は「文語」ですな。
アヌンチアタの遺書なんて「候文」ですよ。


「文語」というと、途端に拒絶反応を示すひともあります。
いわく、文語では表現しきれないから口語になった、
文語は必要ないから使われなくなったのであって
それをいまさら云々するのは無意味である。


確かに、文語では表現しきれないものを表現しようとして二葉亭四迷は悶え苦しんで
口語の扉を開いた、というか、なにもないところに口語の扉をつくりだし自らそれを開いた、
と言うべきか。


口語によって初めて表現することを得たものもあるでしょう。
でも同時に、文語を捨てることで失ってしまった表現領域もあるのではないか。
ふたつの「即興詩人」を読んで、さらに他人様が著わす種々文章を日々目にして、
そんなことを思うのでした。


ついでに言及すれば、「文語は必要ないから“自然に”口語へ移行した」のではなく、
制度がそういうふうになっちゃった、ということでしょう。


まず公教育から文語が削られていった。
背景がどういうものだかは知りませんが、まあおそらく、欧米列強に伍すべく
日本語の平易化を図ったとかなんとか、そんなところではないか。
旧かなが奪われ、当用漢字常用漢字が制定された流れの源流あたりなのでは
ないでしょうか。


そうした流れの中で、日本語は漢字仮名がたくさんあって、読み書きのために
それらを覚えなくてはならないのは、アルファベットを覚えりゃ OK の欧米に比して
効率がわるい、漢字仮名はよしてローマ字にしてしまえ、いやいっそのこと
英語を国語にしてしまえ、という動きもあったそうです。
「英語を国語に」なんて言ったのは、森有礼ですよ。


一種「トンデモ」に近い考え方だと思うのだけど、
いまもってそういうことを考えるひとは絶えないらしい。
しかもジョーダンかと思いきや、どうやらマジです↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080507/155426/
それに対する読者コメントも↓
http://business.nikkeibp.co.jp/fb/putfeedback.jsp?_PARTS_ID=FB01&VIEW=Y&REF=/article/topics/20080507/155426/


強大な国がよその土地を侵略支配して植民地とするために、まずなにをするか。
その土地そのひとびとの宗教とことばを奪うのだそうです。
宣教師というひとたちは、辺境の地に生命を賭して赴く本人の自覚はどうあれ、
実はそういう役目も担っていたわけですね。


「ことばを奪う」というのは、そういう意味を持っている。


小学校の英語教育義務化が、いよいよ本格的に議論される流れになってきたらしいですが、
それはそれでいいと思いますよ。
英語(というより米語)が世界の公用語であることは、どうにも動かないでしょうから。
だけど、それだけで上記紹介記事の筆者が言うように日本人が議論巧者になるとは、
とても想像できない。


  (まあ筆者に言わせれば、漢字を覚えさせられるうえに
  英語まで覚えなきゃならないのは、負担が増加するだけ、
  漢字をもっと減らせ、ということになるのかもしれない)


英語の授業で、指名されて意見を求められたときに「アイム・シンキング・ナウ」と
答えたり、誰かがなにか言ってやっと「アイ・シンク・ソー」とか言ってたんじゃ、
いままで日本語で「いま考え中です」とか「わたしもそう思います」と言ってたのと
変わりゃしない。


自分で考えて自分のことばで発言するというのは、何語で考え何語で言うか、
文字をどれだけ覚えているかなどというのとは、まったく別な問題でしょうよ。
自分の考えを述べる訓練は国語の授業の範疇、というのも違うだろうし。
母国語でまともに喋れない、まともに文章を書けない人間は、
何語を使ったって喋れないし書けないんじゃないの。


文語はいまさら必要ないと言うひとは、
文語をちゃんと読んだことがあるんでしょうか。


口語というのは、そりゃ便利ではあるけれどたかだか100年やそこらの歴史しかなくて、
しかもその中ですら、時々のお役人の思惑や、さらに昨今は女子高生の間で流行ってる
ネットで使われてるという理由で右往左往して、いまだ確立されたとは言い難い。


古事記から1000年かけて積み上げられた国語表現をあっさり捨てたそのひとたちが、
英語の単語を覚え文法を覚えてなにを表現しようというのか。


文語で表現しきれないものを表現するために口語を手に入れたわけだけど、
だからといって表現すべきものを手にいれたわけではない。
逆に「これでなんでも表現できる」と思い込んでしまって、それを使って
なにをどう表現するかを考えることを停止してしまった、のではないのか。


「これがあればなんでもできる」と思ってコンピューターを買ってはみたものの、
ではさて、それでなにをやるかが思い浮かばず、結局年に1回起動して年賀状を
プリントするだけ、というのに似ていませんか。


文語に回帰すれば表現したいものが湧いて出る、というわけでもありませんが。
単なる表現手段だもの、文語も口語も、英語もね。
自分だって文語なんて書けやしない。
漢籍の素養もないから、ただ読むだけだってけっこう難儀だし。


ただ、いま自分がそういう表現手段を身につけていないことを、
英語で思うようにコミュニケーションが取れないことを残念に思うのと
同じように残念だなあと思ってはいますね。
かといって、これから頑張って文語を身につけるのは、これから頑張って
英語を勉強しようというのと同じように、実際にそれに取りかかる前に
挫けちゃうわけです。


でももし、自分に就学前の子どもがいたら、「論語」の素読
子どもと一緒に勉強してみたいなあと思ったりする。

「毒ヘパリン」(22)—ヘパリン汚染は経済詐欺か(WSJ、4月16日付)

     THE WALL STREET JOURNAL April 16, 2008
     Economic Fraud Suspected In Heparin Contamination by Jenifer Corbett Dooren


米食品医薬品局(FDA)トップが上院委員会で、中国製原料を使った
バクスター・インターナショナルの抗血液凝固薬ヘパリンの汚染は
「経済上の理由」によるものだろうとの考えを述べた。


先月 FDA は、一部のヘパリンが、主に動物の軟骨から作られ
サプリメントとして利用されるコンドロイチン硫酸が改変された
過硫酸化コンドロイチン硫酸に汚染されていたことを発表した。


「これまでの調査結果からすると、不当に利益を得るためだと考えられる」
2009会計年度予算委員会の上院歳出委員会農業小委員会ヒアリングに出席した
アンドリュー・フォン・エッシェンバッハ FDA 局長が述べた。


過硫酸化コンドロイチン硫酸は、豚の腸由来のヘパリン有効成分と
化学的に類似しており、FDA によれば、本来の成分よりも安価に作られる。
(「悪ヘパリンが良ヘパリンを駆逐する」「FDA、汚染物質を同定」参照)


バクスター製ヘパリンに使われた有効成分は、サイエンティフィック・プロテイン
ラボラトリーズ(SPL、ウィスコンシン州ウォナキー)が供給していた。
SPL は中国とウィスコンシン州に製造施設があるが、汚染されたヘパリンは、
これまでのところ、中国の施設にのみ関連づけられる。
SPL とバクスターはともに、汚染は、粗製原料を有効成分に精製する工程を担う
中国施設に納入される前の、粗製原料の段階で発生したのだろうとしている。
SPL はまた、ヘパリン有効成分未精製原料の価格は上昇しており、
収量をかさ上げする経済的メリットは SPL 側にはない、とも述べた。


2月、バクスターの最初の発表は、数百件に上るアレルギー反応と、数件の
死亡例の報告を受けて、特定のヘパリン製品を回収しているというものだった。
その後 FDA が、ヘパリンのアレルギー反応による死亡例の報告は、
2007年1月以降62件に上ったと発表した。
しかしながら、それらの事例と汚染ヘパリンが関連しているかどうかは、
いまだ明らかではない。


フォン・エッシェンバッハ局長は、10月までに中国に3カ所の機関を
開設したいとも述べた。

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     THE WALL STREET JOURNAL April 9, 2008
     FDA Triples Heparin Death Count by Alicia Mundy


米食品医薬品局(FDA)は、2007年1月以降の抗凝血剤ヘパリンに
起因する死亡件数を、これまでの19件()から3倍の62件と改めた。


FDA はこの数字を、新たな死亡例の発生ではなく、ごく最近報告された
リポートまで分析範囲を広げた結果、導き出されたものであると述べた。
FDA によれば、これら62件の死亡例は、安全性懸念の主な
焦点となっているアレルギー反応に合致しているようだ。


ヘパリンによるアレルギー反応を伴った死亡例が、
2006年には年間3件であったこととは対照的だとも言う。


FDA 調査・疫学部門ディレクターのジェラルド・ダル・パンは言う。
「これだけの短期間に、これだけ大きな数字が出ることに、
非常な衝撃を受けている」


豚の腸由来のヘパリンは米国と、欧州の数カ国で回収の対象となっている。


FDA は8日、医療機器メーカーに書面で、心臓ステント(血管を拡張するために
血管に挿入する金属メッシュチューブ)といった製品に使うヘパリンの供給源を
チェックするよう警告した。
血管ステント、肺のバイパス手術やインビトロ(試験管内での)診断法に
使われるグラフト(バイパス用血管)といった装置には、
ヘパリンが塗布されているものがある。


FDA 広報担当カレン・ライリーは、医療機器に用いられるヘパリンの
「膨大な量については、議論していません」と言う。
3月28日、米医療機器メーカー大手のコビディエンは予防措置として、
ヘパリンを充填した同社製プレフィルド・ロック・フラッシュ・シリンジ
(薬液充填済み注射器)の全国的な回収を始めた。


汚染ヘパリンの問題が2月に米国で表面化し、薬品やその他製品の
グローバルな供給網の安全性に関する疑問がわき上がっている。


米国最大のサプライヤーの1つであるバクスター・インターナショナルと
あるドイツ企業は、汚染が発覚したヘパリン剤を回収している。
ドイツ当局とバクスターはともに、問題のヘパリンの成分を生成した
中国が汚染源であるようだとしている。


FDA のカレン・ライリーによれば、はっきりとアレルギー反応を示したと
判明しないものも含めれば、死亡例は103件に上り、そのうち19件に
バクスター製ヘパリンが関与している可能性がある。


バクスターは、同社製ヘパリンが関係する可能性のある死亡例は4件のみとしている。
バクスター広報エリン・ガーディナーは、FDA のリポートを引用して、こう述べた。
「アレルギー反応が原因であると分かっている死亡例は、一件もありません」


FDA によれば、3月には新たな死亡例報告はなされていない。
カレン・ライリーは言う。
「汚染されたヘパリンのニュースが発表された直後は、非常にたくさんの
リポートが、いきなり私たちの元に届きました。でも今は落ち着いています。
ほとんどの死亡例のリポートは、昨年11月から今年2月にかけてのものです」


汚染が偶然によるものか、あるいは、中国国内で輸出前のヘパリンに
故意に混入されたものかについては、FDA は断定していない。


(註:死亡件数は発覚当初は1件、その後4件となり、2月28日の FDA MEDIA BRIEFING で、
ヘパリン以外が原因である可能性のあるものも含めて21件と発表された後、1週間後の
3月5日の FDA MEDIA BRIEFING で、報告された46件の死亡例のうち19件がヘパリンを
原因とするとされた。以後、今回再度改められるまで、米各メディアはヘパリンによる
死亡件数を「19件」として報道している)

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