地震兵器の真実


webメディアJBPRESSに「地震兵器」に言及する記事が掲載された。
大災害を生んだ金融・エネルギー界の覇権争い―地震兵器発動?
脱原発で得をするのは誰か〜ベンジャミン・フルフォード氏
」がそれである。


この記事自体は、ラジオ番組「ずばり勝負」の内容を1週遅れで要約して紹介するもので、
その内容自体にJBPRESSが関与しているものではないが、それはさておき。


地震兵器……これは笑うところかと思っていたが、ネットで検索してみると、
どうも多少なりとも信じているひとはそれなりにいるっぽい。


なにしろベンジャミン・フルフォード氏は、かの梶川ゆきこ氏(前広島県議会議員、民主)が
東北地方太平洋沖地震は人工地震」説の根拠に挙げている御仁である。


そのフルフォード氏が
地震兵器については、読売新聞と朝日新聞が1950年代〜70年代まで何回も記事を載せていました」
と番組中で述べ、自身のブログでは
「読者より送られてきた人工地震の記事です。多くは日本の朝日新聞と読売新聞。
かつては、日本の大手マスコミも地震兵器の存在を認めていた」
と、当時の人工地震の記事キリヌキを紹介している。


新聞紙面の汚い画像でおまけに小さいものだからいちいち新聞の本文を読むことはしていないが、
「人工地震」の見出しは明瞭に読める。


人工的に地震を起こすことは技術的に可能だろうとは思う。地中深部で相応のエネルギーを
放出させればいいのだから、むしろ技術的には単純だろう。大陸プレートの接合部で実施すれば、
さらに結果の規模は大きくなるだろう。


だが、これを「兵器」として利用するのは、アイデアとしては過去あったのかもしれないが
(あるいは現在もあるのかもしれないが)実現可能かどうかという点では、
「兵器はある」と断定されると二、三歩引いてしまうのである。


2カ月前から現在までのことを思い起こしてみればいい。


確かに広い地域にわたって大きな地震があった。だが、いまわたしたちの眼前に
「未曾有」の3字を立ちはだからせる災害は、むしろ津波であり原発事故だ。


その結果、日本一国の震災にとどまらず、サプライチェーンの混乱というかたちで
世界の経済や産業に少なからぬ影響を与えたし、それはフルフォード氏が地震兵器の大本と
主張しているらしいアメリカの産業界にしても同じだろう。


もたらされる結果を厳密にコントロールできない、しかも自分たちが受ける影響の
程度も想定できないシステムを兵器利用しようなどという発想を、
いまどき誰が(北朝鮮を除いて)するだろうか。


JBPRESSの記事では紹介されていないが、フルフォード氏はさらに地震兵器は
天候をコントロールすることも可能だと、このラジオ番組で語っていたと記憶する。


地震兵器なぞという物騒なものを持ち出すまでもなく、例えば中国で
旱魃対策として人為的に雨を降らせるために空に向けてミサイルを発射したことが
何度か日本でも報道されたように、事実としてそうした試みは行われている。


だがこれは昔から行われている「雨乞い」の儀式を、科学的知識と技術的発展に基づいて、
何日間も火を焚き太鼓や鉦を打ち鳴らして天候の変化を望むよりも
多少マシにした程度のものでしかないだろう。


仮にも「兵器」として利用するならば、目的の地域に目的の雨量を
目的の期間にわたって降らせられなければ無意味だ。


中国の「雨乞いミサイル」も、まったく雨を降らせなかったか、見当違いの地域で
申し訳程度の降雨が見られたという報道しか記憶にない。


しかしこれは幸いである。まかり間違って想定以上の雨を呼び洪水被害をもたらしていたら、
場合によっては旱魃以上の災害になっていたかもしれないのだから。
3月の地震が建物を倒壊させインフラを寸断する以上の被害を、津波原発事故でもたらしたように。


さらに氏は「ずばり勝負」の中で
「今回いろいろと調べてみましたが、「ちきゅう」という船(地球深部探査船)が
地震の前にちょうど震源地でドリルで穴を掘っていたんです」
と述べている。


あたかも「ちきゅう」が震源地に地震兵器を埋め込んだかのようではないか。


海洋研究開発機構地球深部探査センターの「ちきゅう」紹介webサイト
CHIKYU HAKKEN〜地球発見〜」から、「ちきゅう」の目的を抜粋してみる。


> 「ちきゅう」は科学史上初めて巨大地震震源まで掘削し、
> そこを直接観測し、地震がなぜ発生するのか、そのメカニズムを
> 解明します。また、掘削した孔(あな)には観測装置を設置し、
> 地震発生と同時に、その情報を陸上へすばやく伝えるシステムを
> 目指しています。


震源地と予想される地点にドリルで穴を掘るのは当然なのである。もちろんそれは、
この説明を信用すればという条件付きだし、「地震兵器を設置するために穴を掘っています」
などと言うはずもないが、疑ってかかればキリがない。


地震兵器の証拠として「人工地震実験」の新聞記事を見せられても、
「そりゃ、地震カニズムの解明が目的でしょ」と思うだけである。


さらに兵器は、それを持っていると相手に思わせることで目的の半分以上を
達成できるものである。その威力が倍増すると言い換えてもよい。


それが抑止力というものであり、大国に対して有効な外交カードを持たない北朝鮮
パキスタンが核開発〜核兵器所有に執着する理由である。


地震兵器の実際の有無とは関係なく、それがある(かもしれない)と思わせられれば、
それを交渉カードに使おうとの目論見を持つものにとっては成功だろう。
逆に、そんなものはあり得ないと思われれば失敗なのだ。


そう考えれば、「大地震地震兵器によって人工的に起こされた」とあちこちで
言いふらすものこそが、実は陰謀組織のナカノヒトということになりはしないか。


陰謀論者の言辞を借りて言うならば、「そう考えるのが自然」だろう。

計画停電の夜に


停電っていうと、こんな話があるんですよ。


わたしの住んでるマンションが計画停電のエリアに入っちゃいましてね、
いざ停電になると家の中だけじゃなくて外も真っ暗で。
なにしろ家の明かりもオフィスの明かりも街灯も自動販売機も
全部消えちゃうんですから。


しかもそのエリアのほとんど真ん中へんだもんだから、
エリアの外の停電じゃない地域の明かりもまったく見えてこない。
都心部の高層ビルの窓の明かりぐらいですよ、見えるのは。
それだって節電の協力ということで、かなり少なくなりましたしね。


大きな通りなら車が走ってますから、まだ車のライトがあったりするんですが、
住宅地の中に入っちゃうとそうしょっちゅう車が走ってるもんでもない。
ともかく真っ暗なんですよ。


その日も会社で仕事してたら、夕方のニュースでわたしんとこのエリアで
計画停電やるって出たもんですからね、これはもう早く帰ろうと。


いちおう懐中電灯はいつも持ってたんです。計画停電やるって決まって
買ったんですよ。マグライトっていうんですか、こんな細身のやつ。
カバンの中に入れて持ち歩くのに、でっかいライトじゃ邪魔になりますからね、
小さくて、でもそれなりに明るいのを買ったんです。


ただ、いくら明るいったってせいぜい足元照らすだけですから、
真っ暗な中をその小さな明かりだけを頼りにとぼとぼ歩いて帰るなんて
心細いじゃないですか。だもんで明るいうちに、停電になる前に家に帰りたい。


部屋の中に入っちゃえば、真っ暗ったって安心は安心ですからね。
ローソクも買っておいたし。


で社長のところに行って・・・社長ったって実はわたしの友人なんですよ。
彼と二人でつくった会社でね、登記するのに代表者がいなきゃならなくて、
どっちがなったっておんなじだからジャンケンで決めようぜと。
で、わたしが勝って、じゃあお前が社長、おれはヒラ社員だと。


その社長のところへ行って、これこれで今日はもう帰るからって。
おお、そりゃ大変だ、とっとと帰れと。そのかわり明日は早く出てきて
残りの仕事を午前中に片付けておいてくれよ、と言うんで、
わたしも分かったってそそくさと会社を出ましてね。


駅へ向かったんですが、やっぱり停電になるっていうんで
早く帰りたい人たちでごった返してるんですよ。
ホームに入るどころか、すでに入場制限されてて、
改札を通るために並ばなくちゃならないような状態。


おまけに電車も節電に協力しなくちゃならないっていうんで
間引き運転してるもんだから、並んでてもなかなか普段のようには
電車が来ない、電車に乗れないわけですよ。


そうこうするうちにどんどん時間が過ぎていって、
おいおい、これじゃあもう停電前に家に帰れないぞ、っていう時間に
なっちゃったんだけど、だからってまた会社に戻って仕事したくないし、
しょうがない、真っ暗な中、懐中電灯で帰るかとあきらめてね。


すし詰めの電車に乗ってガタンガターン、ガタンガターンって
揺られていって、電車を降りて駅を出たらもう、真っ暗ですよ。


やれやれと思いながらカバンから懐中電灯を出して、
こう片手に持って地面を照らしながらね、
黄色い小さな丸い明かりを頼りに歩きだしました。


それでも最初のうちは駅に通じる大きな道路で車もそこそこ走ってるし、
わたしと同じように懐中電灯を持って歩いてるひともたくさんいて。
そのひとたちのシルエットがね、車が通り過ぎるたんびに
ライトに照らしだされてサーッ、サーッと闇の中に現れては消えるわけですよ。


だけど、その通りから外れて住宅地のほうへ向かうと、
たくさんいた人もひとり減りふたり減りしていって、
もうわたしの周りには、ほとんど誰もいない。


時折、前のほうとか横のほうで黄色い丸い明かりが地面の上をちらちら、
ちらちらっと動いていて、ああ、あそこに人がいるんだなと分かる。
だけどその明かりの主は全然見えない。


その明かりも、たぶんそのひとの家がそこにあるんでしょう、
闇の中にすっすっと、ひとつずつ消えていく。


これで月が出てれば、ずいぶん様子も違うんですが、
あいにくその晩は厚い雲で、とうとうわたしひとりになっちゃった。


あーあ、と思いながらとぼとぼ歩いていてね、
ふっと気づくと前のほう、20メートルぐらいですかね、
女の人がやっぱりとぼとぼと歩いてるのに気がついた。


20代なかばから30歳ぐらいですかね、白っぽい服で
髪はこう、肩よりちょっと長いくらいの。
一見、会社帰りのOL風の女の人がうつむき加減で歩いてる。


だけど彼女ね、明かりを持ってないっぽいんですよ。
地面を照らす黄色い丸い明かりがない。真っ暗な中をとぼとぼと歩いてる。


懐中電灯を忘れちゃったんだなと思ってね、どうやらわたしと
同じ方向へ向かってるようだし、わたしもひとりで歩くのは
心細いんで、彼女がどこまで行くのか分からないけど
途中まででも明かりを貸してあげようと思って。


まあ、多少の下心のようなものがあったことも確かですが、
彼女に追いつくために足を速めようと一歩、踏み出してふと気がついた。


・・・なんで「アレ」が、そういう年恰好の女の人だって分かるんだ?


あたり、真っ暗なんですよ。街灯も、家の玄関の常夜灯も、
窓から漏れる明かりすらない。懐中電灯を持ってるひとだって
男か女かさえ分からないって状態ですよ。


かなり前を歩いている「アレ」は懐中電灯も持ってないんですよ。
だけど「30前の髪の長い女のひと」だって分かる。


なんでだ? って思った瞬間、ぞーっとしてね、踏み出した足が止まっちゃった。


ソレはなおも前のほうをとぼとぼ歩いてる・・・ように見える。
わたしが帰る方向もそっちなんだ。


回り道をしようにも、明るいんならともかく真っ暗でしょ。
くるっと回ると自分がどっち向いてんだかも分からないんだから、
普段歩きなれた道を懐中電灯の明かりを頼りに歩くのでせいいっぱいですよ。


うわーっどうしよう、と思ってね。こうなったらもう早く帰りたい。
だけど家のほうへ向かえばアレが前にいる。
へたしたら追いついちゃうかもしれないし、ことによると
こっちに気づいて向こうから近づいてきやしないだろうか、
なんてことまで想像してもう、動けないわけですよ。


帰りたいーっ動けないーっどうしようーっ、て思ってたら
ソレがすっと消えた。あれ、と思ってじっと目を凝らすんだけど、
やっぱりいない。


消えたー、よかったーと思って、だけどまた現れるかもしれないと
思ってそのままそこに、5分か10分か15分かよく分からないけども、
それなりの時間そこにじっと立ってて、それでも見えてこないんで、
もう意を決してね、ほんとに決死の覚悟ですよ、また歩き始めた。


まわりをきょろきょろしながらね。きょろきょろしたって
何も見えないんですけどね、真っ暗で。


で、だいたいあそこらへんでソイツが消えたな、ってところまできて、
そこからはわたしの部屋までせいぜい200メートルぐらいで
角をひとつ曲がればあとは真っ直ぐだし、そこを過ぎたら
とにかく走っていこうと思いながら、そこまで行くと・・・


ソイツがすっと目の前に現れて、こっちを真っ直ぐ見て細い声で


「アタシを・・・殺したでしょ?」


って言って、ふっと消えたんですよ。


ぐっとからだが固まってね、声も出せなくて。
たぶん半分気を失ってたんでしょうね。


どれぐらい、そのままそこに固まってたのか分かりませんが、
気がついたらあたりは明るくなってて。停電が終わってました。
わたしが立ったまま気を失ったようになってたのは、
古いマンションの入り口の前でした。


翌日、社長にその話を聞かせたら
「ふーん」なんて気のない返事をしてたんですが、
仕事中もなんか調べ物をしてるなと思ったら夕方になって
「たぶん、これじゃないかな」と言って
いろんな事件をまとめたウェブサイトのページを
プリントアウトしたものを見せてくれて。


こまかいところ番地までは出てなかったので、たぶん、
ということなんですが、私がその前に突っ立ってたマンションは
15年前に建てられて、そこの工事をやってる時期に、
帰宅途中のOLが襲われて基礎工事の穴に遺棄されていたのが
発見されたということです。


きっと、それから彼女は駅から自宅までの道のりを
家に帰り着けないまま延々と歩き続けてるんでしょうねえ。


それからしばらくは、夜停電するぞっていうときには
会社に泊まってたんですが、結局会社の近くに引っ越しました。


なぜかって?


あのときは真っ暗な中でソレだけが見えたから、
アレは生きてる人間じゃないって分かりましたけど、
もし明るいときにも見えてるんだとしたら、
まわりの生きてる人間と区別がつかないじゃないですか。


目の前を歩いてる女の人がソレかもしれない、と思うとね・・・

「救援物資」が救援活動を阻害する


探偵ファイル」に寄せられた東北地方太平洋沖地震救援活動に従事する自衛隊員のメッセージから
http://www.tanteifile.com/diary/2011/03/24_02/index.html


>救援物資に関しては、防衛省だけでなく都道府県からも届いている状態です。
>しかし、これが現場の被災者に即座に届いているかどうかというと非常に難しい問題です。
>これは、横領があるわけではなく、物資の量が自衛隊の輸送能力を超えてしまっているからです。

>飛行バランスを取るために、航空機搭載前において重量測定をするのは必要になります。
>その際に我々の任務を阻害するのが、個人的な救援物資です
>個人的な救援物資は、様々な品が少しずつです。
>これを仕分けるのに、発送元基地及び発送先基地で物凄く無駄な労力となります。
>ですから、一般の皆さんにお願いしたいのは、速やかに救援物資を送るために個人で実施しないで下さい

>「行動として何かする」ことこそが良いように思いますが、
義援金という皆さんが稼いだ(行動した)お金も効率的な立派な支援策です
思いつきの善意は、かえって悪影響になることもあるということを知って欲しいです。

自衛隊に「こんなこともできないのか」又は「〜すべきだろう!」というお叱りの意見があるのは百も承知です。

東京水放射能汚染


23日に報道されたように、都内浄水場で23区ほかに
供給される水道水から“高濃度の”放射性物質が検出された。


言うまでもなく東北地方太平洋沖地震東日本大震災
東北関東大震災)の「余震」である。


このことがメディアで報じられるやいなや、(案の定)多くの人が
ペットボトル入りのミネラルウォーターを買いに走ったようだ。


だが、この報は同時に
「摂水制限は乳幼児限定」
「おとなは飲んでも健康被害が出ることはない」
ことも知らせている。


ミネラルウォーターを大量に買い込んだ人のどれだけが、
赤ん坊のミルクのために必死で走ったのだろうか。


おとなが飲むためだけに買いだめして、本当に必要としている
こどもに届かなくなる可能性は考えているのだろうか。


その後東京都は、該当する地域で乳児1人あたり
550ミリリットルボトル3本の水を配布することを決定した。


このたびの震災を報じる海外メディアで
「日本人の美徳」が取り上げられるのを見るたびに、
自分の周囲で繰り広げられている日本人の実際の行動を
思い起こして恥ずかしく悲しくなる。


それがなくともとりあえず凌げる者たちが
弱者の手から彼らが生きるための必需品を毟り取るような行いを
「無知ゆえ」と許す気持ちには到底なれないのだ。


よしんば、行政府の発表する数字に不信感を抱き
自身の生命を自身で守るためのやむを得ぬ行為であるとしても。


そうした人たちを説得するだけの義侠心は生憎と持ち合わせないが
自分自身はペットボトル入りの水に手を伸ばすのは
それを本当に必要とする人たちに行き渡ってからにしようと思う。


それが自分にできるせめてもの、いま現在大量の放射線
浴びながら闘っている人たちとの共闘だと思うから。


●日本人の美徳@スイス
スイス人が大仰天、日本人の規律・礼儀正しさ〜仏教それとも儒教の影響なのか、心理学者が強い関心示す


●最前線に立つ自衛官の心情
一体どこから来るのか、自衛隊員の半端ではない使命感


●現役自衛官から最高指揮官・内閣総理大臣へ(産経で紹介された記事)
福島第一原発:報道をはるかに超える放射能〜死を覚悟する自衛官、国のリーダーにその認識はあるか




今週のお題東北地方太平洋沖地震

福島第一原発放水活動、わたし自身が彼らを見殺しにしている


放射能汚染の危険性を十分承知のうえで、
自分ばかりか家族をも犠牲にして放水活動に従事する自衛官、消防士・・・


その過酷な任務にどのような覚悟を持って臨んでいるかは
福島第一原発:報道をはるかに超える放射能〜死を覚悟する自衛官、国のリーダーにその認識はあるか
に切実に記されている。


巨大地震という自然災害に際してこうした人災が引き起こされた
その原因は政府の無策、東電の無責任にあるのかもしれないが、
いま現在、実働部隊を見殺しにしているのは
福島原発でつくられた電気を使って便利を享受していたわたし自身だ。


そのことをこそ、東電管内に暮らすわたしは忘れてはならない。


いくらしたところで甲斐ない心配をしても、自己満足以外に意味はない。
できることといえば、こまめに電気機器のスイッチを切りコンセントを抜くくらいだ。
そしてただひたすら、彼らに向かって頭を下げよう。




今週のお題東北地方太平洋沖地震

モンスターボランティア〜自分にできることなど何もない


東日本大震災東北地方太平洋沖地震東北関東大震災)の被災者に
何かしたいと思っているアナタは、以下を読んでから「自分に何ができるか」を考え行動すべきだろう。


「自分にできる何か」は、けっして「自分がやりたい何か」ではないし
「見返り」(=被災者からの感謝)を求めてやるようなことではない、
ということを忘れずに。

タイガーマスク現象」批判非難に見るモンスターボランティアの兆候


本題に入る前に小咄をひとつ。


ちょっと前に「流行った」タイガーマスク現象に
モンスターボランティアの萌芽を見て取った作家の佐川光晴氏が
ブームを批判するコラムをJBpressに寄稿したが、案の定、
氏を非難する読者コメントが多く寄せられた。


「タイガーマスク現象」という困った慈善活動
本家「タイガーマスク」と寄付ブームの大きな違い
40年間、寄付を続ける覚悟はありますか


これらの読者コメントを読んで思ったこと・・・
「『偽善者』と呼ばれて、善人は苦悩し、偽善者は腹を立てる」

「自分探しボランティア」は被災地に近づくな

西宮市議会議員・今村岳司氏のブログより(氏は阪神・淡路大震災の被災者である)
http://xdl.jp/diary/?date=20110313


「悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。」


被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に『被災者の気持ちなんて結局誰もわからない』を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
『何かしよう』という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。」


「まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない『ボランティア』は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです
。」


要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
『着るものがないだろう』とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
『○が不足しているのでどこに送って欲しい』という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。」


「要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。
彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。
彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした
被災地に必要なのは、プロだけです。」


「被災地の復興と、自衛隊の活躍、そして、大切な友人である自衛官の無事の帰還を、
心から祈ることだけが、無力な私にできることです。」

「何が」できるのか、「いつ」それをすべきか

(つづき)http://xdl.jp/diary/?date=20110314


「テレビに『復興した』というニュースが散見されだしたときこそ、
動き出すべきときです。
テレビは感情に訴えかけるエンタメなので、
感動的なドラマを放送するために、『復興』を放送します。
しかし、ほんとうの復興など、そんなにすぐできるわけがないのです。
そういう報道が為されだすくらいから、
必要な物資や、必要な人的支援や、必要な資金などが明確になってくるいっぽうで、
反比例的に『助けを求めている!』という報道は減少します。
さっきまで国じゅう挙げて『力を合わせて』といっていたのに、
さらっと忘れるのです。
そういったときにこそ、小さな情報を拾って、
みんなに呼びかけてあげてください。そして応えてあげてください。」


「いま、自衛隊、全国の自治体の救援部隊、さらには外国からの援軍も
被災地に投入されていっています。
彼らがまずは現地入りして、救援の統制系統の下地を整えた状態であれば、
ボランティアは活きてくる可能性もあります。
ただし、彼らの指揮下に入ることが最低条件です。
テレビで『ボランティアのやる気を削がず自由に活動させるべき』
などと、“有識者”が言っていましたが、とんでもない意見です。
指揮命令系統のない大人数など、現場の復旧活動の邪魔になるだけ。
やりがいや自己満足を求めて現場入りするのは最大の迷惑です。
自分のためではなく、部隊の指揮下で日本のために自分を犠牲にできる人だけが、
『ボランティア=義勇兵』として現地入りすべき
です。」


なにより、いまできることは、募金を『すること』です
(独自に街頭に立ってよびかけることではなく・詐欺が横行します)
呼びかけるとすれば、身元のしっかりしたところへの募金を呼びかけるべきです。
それくらいしかないのです。
でも、いまはそれがいちばんありがたいのです。
私たちは復興に必要な技術を持っていません。
私たちは復興に必要な訓練を受けていません。
でも、それぞれの財布から出る色のついていないお金は、
絶対に復興の邪魔になりません。」


世の中がこの『悲劇』に飽きて、支援への熱が冷めだしたときに、
『復興』のドラマを酒の肴にしだしたときに。


そのときにこそ、この災害のためにできることを継続しましょう。


被災してから、私が初めて悲しくて悔しくてぼろぼろ泣いたのは、
震災から半年以上たった夏のころでした。
どうして俺はこんなに不憫なのか?とふと思って情けなくなって、泣きました。


よく憶えている。」

pray for Japan〜日本のために祈ろう


世界から東北地方太平洋沖地震被災者へのメッセージ


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