オバマのママの物語(1) (TIME)

     TIME April 09, 2008
     The Story of Barack Obama's Mother by Amanda Ripley


実際、ひとは矛盾に満ちた人生を生きている。たった一本の道を進んでいるわけでは
ないのだ。S・アン・ストロは少なくとも 1 ダースの異なる道を歩んできた。
後に人類学の博士号を取得した彼女は 10 代の母で、生まれ育った米中西部よりも
インドネシアのほうが性に合っていた白人女性で、働くことの大好きな生まれながらの
母親で、こういう言い方ができるなら 「ロマンチックな現実主義者」 だった。


「思うに、母には確固たる自分というものがあった。
しかしそれはまた、無謀とも言えるものだった。
彼女は常に何かを探していたように思える。
自分の人生を一つの型に嵌めることを嫌っていた」


アンの息子であるバラク・オバマが、つい最近こう語った。


オバマの母親は、夢見るひとだった。時たま成果を上げるだけのリスキーな賭けに出て、
子どもたちはその選択に耐えなくてはならなかった。何も知らない遠い異国の学生と 2 度
恋に落ち、その末の結婚は 2 度とも破綻し、2 人の子どもを育てるために両親と友人を頼みとした。


娘のマヤ・ストロ・ンの話。


「母はとても涙もろいひとだったわ。虐待される動物や子どもをニュースや映画で見るたびに、
あるいは自分の言うことが理解してもらえないと感じるたびに、泣いていたもの」


一方で、怖いもの知らずの面も持っていたと言う。


「とても能力の高いひと。苛酷なフィールドワークへもオートバイのバックシートに
乗って出かけていたわね。彼女の研究は信頼に足る、洞察に優れたものだった。
何が問題の核心かが分かっていたし、誰に問題の責任があるかを知っていたし」


オバマは、母親のかつての姿を反面教師とした部分もあるようだ。
ティーンエイジャーの頃、見知らぬ土地で母親と離れて暮らすことを求められたが故に、
現在の彼は自分の子どもたちを地元中西部に根づかせようと努めている。
「妻とわたしは、子どもたちに安定を与えている。それはわたしの母が、
わたしたち子どもに与えてくれなかったものだ。わたしがシカゴに根を下ろし、
ひとつ所で代々続いた家の女性と結婚したことは、おそらく、わたしが安定というものを
強く欲していることを示している。かつてのわたしが持ち得なかったものだ」


皮肉なことに、オバマの人生における最も重要な人物について、わたしたちは
ほとんど何も知りはしない。それはおそらく、いまだに肌の色が何にもまして
問題となる米国では、アフリカン・アメリカンであるとは即ち黒人であると
いうことだからだ。彼のことを物語る準備は、まだ十分に整ってはいない。


しかし、オバマが彼の母親の息子であることにかわりない。
過去をではなく未来を語る彼の広範な理論立てには、疑うことを知らない母親の影響が
見てとれる。オバマの元には、これまで政治を全く信用していなかった人々からの寄付が
集まっている。彼らはオバマの能力に期待しているのだ。イデオロギーをなぞるのでない、
自由で力強い理論を展開する能力は、まさに母親譲り。自身とは異なる考え方の
何千という人々を動かして大統領に選ばれる日、それは宝石をつぶさに
品定めするような目線で異文化と向き合った両親を持ったことの延長にあるのだ。


まず希望を語るのは、母から受け継いだオバマお家芸だ。
その希望の実現性が疑われない限り、彼は支持されるだろう。


大統領予備選挙において、候補者の亡母のことなど、候補者プロフィルの
主題とはならない。だがアン・ストロは凡百の母親とは違う。