なぜ日本人はクジラ狩りに固執するのか

     BBC March 7, 2008
     Why Japan persists in hunting whales by Chris Hogg

国際捕鯨委員会IWC)が捕鯨支持、捕鯨反対両国家間の共通基盤を
探るべく会合を行う中で、鯨肉の確保を諦める素振りのない日本。
BBC のクリス・ホッグが、日本のある町からリポートする。


日本人がなぜクジラを捕るのか知りたければ、和田(千葉県南房総市)を
訪れるがいい。
海を望む急峻な斜面に、いまにも滑り落ちそうになるのをかろうじて
踏みとどまるかのようにへばりつく、小さな沿岸集落のひとつだ。
漁船は小さな港に引き揚げられ、その近くでは数人の男たちが漁網を繕っている。


IWC商業捕鯨を禁じている。
しかし、すべての種類のクジラが禁じられているわけではない。


この町の鯨漁師・庄司義則氏は、毎年14頭のクジラを捕っている。
彼が捕るクジラのほとんどはツチクジラ。
房総沖20キロ(12マイル)の地点が漁場だ。
日本政府による漁獲割り当ては、夏の3カ月間の捕鯨を許している。
昨夏、和田全体では26頭のクジラを捕獲した。


庄司氏の鯨肉加工場(外房捕鯨株式会社)に運び込まれたクジラは、
クジラジャーキー、クジラバーガー、クジラステーキ——そのほか
顧客が望むありとあらゆるものに加工される。

クジラベンチャー


庄司氏は日本人男性としては大柄で、彼の下で働くどの労働者よりも背が高い。
語り口調は穏やかだが、発せられるメッセージからは確固たる意志が窺われる。
捕鯨の理非曲直を討議するのはよいことです。しかし捕鯨禁止の実行は、
これを認めることはできません」


彼は加工場を案内してくれた。


暗紅色の巨大な鯨肉の塊をスライスしている2人の女性の前で立ち止まる。
血は、彼女らのビニール製作業着を伝って床に流れ落ちる。
この肉は醤油と酒で味つけされ、乾燥されてジャーキーとなるのだ。


「九州のひとたちは、新鮮な鯨肉が好きです」
庄司氏の話は、日本の南部で生活する人々にも及ぶ。


「このあたりでは多少風味のある方が好まれますので、
岸でそのまま1日寝かせてから、切り分けて冷凍します」


毎夏、鯨肉は保存され、需要に応じて使われる。
彼は大きな鉄製扉を引き開けて、フリーザーの内部を見せてくれた。
中には、鯨肉の箱また箱。


小さな、マッチ箱のような標準サイズにカットされたミンククジラの肉もある。
これらは、調査捕鯨を行う日本鯨類研究所南氷洋から持ち帰ったものだ。
庄司氏は研究所から買い入れている。
その売上金は、日本の研究プログラムの助成金に充てられる。
「これは刺身にします」と庄司氏は言う。


日本が例年南氷洋でクジラを殺していることや、彼がやっているような
日本沿岸での捕鯨に対して、世界中が反対しているのだと、彼にぶつけてみた。
彼は言う。
「わたしには漁業と捕鯨の違いが分かりません。日本人は400年間、
クジラを食べてきました。クジラを捕ることとサカナを釣ること、
その違いは何でしょうか?」

絶滅危惧種


彼も、種類によっては絶滅しないよう保護する必要があるのだという
議論は認めている。
「例えば、シロナガスクジラは捕獲すべきではありません。しかし、
ミンククジラは豊富にいます。なぜ他人がわたしたちに、日本の沿岸で
クジラを捕ってもよいとかダメだとか言えるのか、わたしには分かりません」


日本の捕鯨を阻止しようとする環境活動家に対する彼の評価は、こうだ。
「寄付金を得るために、世間の注目を集めようとしているのでしょう」


しかし話をするうち、彼はこれが単に伝統や経済の問題ではないと
考えていることが次第に明らかになってきた。
彼自身、クジラが種の危機にさらされている時、捕鯨の継続を主張するのに
「伝統」のひとことだけでは、十分な理由とはならないと説く。
2人の女性が肉の塊をスライスしている小さな部屋のすぐ脇で、
ジェスチャーを交えながら彼は語る。
「経済的主張も、理由としては弱い」


クジラを絶滅の危機に追いやることなく捕鯨が可能となったとしたら、
その時だれが、彼にクジラを捕るななどと言えるだろうか。


「道理の問題です。日本政府は海外からの圧力に屈すべきではありません」

文化としての捕鯨


その後、庄司氏に連れられて町の小学校のクラスに参加した。
彼が出席を請われていた、捕鯨に関する授業だ。
日本ではこの問題について、一般的な議論にはなっていない。
しかしここ和田では、子どもたちが実際に行われている捕鯨について、
熱心に議論している。


1人の生徒が語ってくれた。
「クジラを殺すのは残酷だと考えるひとがいることは知っています。
それが捕鯨に反対する理由なんでしょう。でもぼくはここで生まれて、
捕鯨は続けなくてはならないと思っています。それが伝統だからです」


授業は進んだ。世界中の多くのひとが捕鯨に反対していることに
子どもたちが気づいていることは明らかだ。
庄司氏も子どもらの先生も、子どもたちの目から問題を隠そうとしたり、
あるいは逆に捕鯨は正しいことだと教え込もうとはしない。


ほかの国の多くの小学校でそうであるように、教室にはクジラの写真と、
クジラの主要な種類を並べた図表が飾られている。
違うのは、子どもたちがクジラを食物ととらえているらしいということだ。


実のところ庄司氏は、他国の捕鯨反対論者との議論をいま以上に深めようと
しない日本政府に対する不満を、諦めをもって飲み込んでいる。


東京に戻ってから、庄司氏の不満点について漁業当局者に取材した。
相手は肩をすくめてこう言った。
グリーンピースのような組織は、数百万とカネをかけて反捕鯨キャンペーンを
打ってるんですよ。連中とやり合うのにおカネを使うのは道理にかなったことだと、
どうやって納税者を説得できるっていうんですか」


日本が捕鯨の権利を主張することで、特に反捕鯨論の根強いオーストラリアの
ような国々で、海外における日本のイメージは損なわれつつある。
しかし、和田のような土地を目にすれば、そうした強固な反対論の前で
なぜ日本政府がなかなか引き下がらないのか、分かるだろう。
ここでは彼らはこの問題を、環境保護の問題としてではなく、ほとんど
主権国家としてのアイデンティティーに関わる問題としてとらえている。
そして捕鯨をやめさせようとするどんな企ても、怒りをもって迎えられるのだ。