あなたは、どんなエネルギーを使って衣類を乾かしていますか?


>  数年前、米国のラリー・プレスラー上院議員が私を訪ねてきました。
> 私たちはインドのエネルギー問題について意見交換したのですが、その際、プレスラー議員は
> 「インドではどんなエネルギーを使って衣類を乾かしていますか?」
> と聞いたのです。電気なのか、それとも天然ガスを使っているのか、とね。
> 私は思わず言いました。
> 「窓の外を見てください。われわれは太陽で衣類を乾かすのですよ」
> 日本でも、外で衣類を乾かす人がたくさんいますが、先進国の人たち、特に米国の人々は、
> そんなことを考えたこともない人が多いのです。
    (ラジェンドラ・パチャウリIPCC<気候変動に関する政府間パネル>議長)
  http://premium.nikkeibp.co.jp/em/report/32/index.shtml


そういえば自分は、東京で生活するようになって以来、洗濯物を外に干すことがなくなりました。


濡れたものを外気にあてると、真っ黒に染まりそうな気がして。
お陽さまにあてれば殺菌にもなるし、いいのは分かってんですけどね、郊外ならまだしも
都心に近いあたり(環7のちょっと外側)だと、かえって大気中の有害物質(窒素酸化物NOxとか
硫黄酸化物SOxとか浮遊粒子状物質SPMとかダイオキシンとかアスベストとかタバコの煙とかとか)
を吸着しちゃうんじゃないか。


かりに大気がきれいでも、外に干すとなるとそれはそれで条件が必要になるわけで、
日が暮れたり雨が降ってくれば取り込まなくちゃならないので、
日中勤めに出ているひとり者や共働きの都市生活者には、なかなかむずかしいでしょう。
近所のおばさんが勝手に取り込んでくれて、鍵をかけてない窓から家の中に放り込んで、帰宅したら
「雨が降ってきたから取り込んどいたげたわよー」なんて言ってくれるような近所づき合いもないし。


でも自分の場合、部屋の中に吊るしておけば乾くので、乾燥機も使わない。
猫の毛も、多少はつくでしょうが、これはいまさら気にしてもしょうがないので気にしない。
ときどき、自分のそばでいきなりクシャミするひとがいたりしますが、
ひょっとして猫アレルギーなのでしょうか。
だとしたら、申し訳ないことです。


まあこれも、そもそも洗濯物の量が少ない自分のような独身男性が1日おきに洗濯してるから
それでもオッケーなのであって、洗濯する量が多い、普段忙しくて休みの日にまとめて洗濯しなくちゃならない、
とかになると、部屋いっぱいに濡れた衣類を吊るすのも、なかなか大変だ。


このように、「洗濯物を干す」行為ひとつを取っても、生活の様式や環境の違いによって
手段も変わらざるを得ない面があって、
「どんなエネルギーを使って洗濯していますか」
「窓の外をご覧なさい、われわれはみな、川で洗濯するのです」
とか言われても、困っちゃうわけで。


だからこの記事の、このエピソードを読んで、
「なんてわれわれは普段、エネルギーを無駄遣いしているのだろう」
などと考えるのは、少々短絡的とも思うわけですが、一方で、
そうしたエネルギーの使い方は、必ずしもそれ以外に選択肢がないわけではない、
ということを自覚しながら、洗濯機回したり乾燥機回したりすれば、
もうちょっとは無駄を減らすことはできるんじゃないのかね、
とも思うわけです。


部屋中に洗濯物が吊るされている状態は、確かにみっともなかったり、
部屋の中を動くのに邪魔っけだったりはするけれども、
それでなにか、生きてくのが困難になるほどの、とてつもない支障が生じるわけではない。


「環境問題」の脈絡で「エネルギー資源の無駄遣いをやめよう」という話題が出ると、
「エネルギーを使わない社会はあり得ない、いまさら江戸時代の不便な生活に戻るなんてできるわけない」
と言い出すひとが必ずいますが、あなたが享受している「便利」は、
人間が生きるうえでほんとうに必要な「便利」なのか、と思うわけ。
その「便利」がないと生きられないのではなく、単にあなたが
その「便利」を手放したくないだけでしょう、と。


「地球環境を守るために、すべての便利を捨てよう」なんてことは思わないし、
受け入れられる「不便」と受け入れられない「不便」が個々で違うことも分かってますが、
いま自分が享受している「便利」を手放すことで被る「不便」は耐えられないものなのか、
考えてみてはどうでしょうかね。
そして、この「不便」は耐えられるなと思えば、5回に1回は我慢してみる。
5回が4回、3回、2回……となっていけば、それはそれでエコでしょう。


それをしないで、便利を追求するのが人間で、環境問題の解決はひとえに政治や、
便利を売って利益を得ている企業の責任、という理屈でエコロジーに口を出すひとには、
ヒザカックンして差し上げたい。


エネルギー不足と環境問題の解決のために原子力発電の必要性を訴えながら、
一方で「オール電化」を推し進めている電力会社とかにもね。


当然自分にも、享受する「便利」と甘受する「不便」がありますが、
「不便」を選択するのは、べつにエコロジー目的からではないんですよ。
副次的にエコロジーに役立つなら、それはそれで結構なことだ、程度には思ってますが。
自分が「エコロジー」と口にするのは、それがとりあえず相手がすんなり納得してくれることばだから。


自分の行為に誰かが「なんでそんなこと、やってるの?」とつっこんだときに
ひと言、魔法の呪文を唱えれば、それ以上つっこまれることがないからです。


エコロジー」。
世間的にも「魔法の呪文」みたいな使われ方をしてるように思えることがありますけどね。
「相手を黙らせる」という効果でみれば、おんなじか。


エコエコアザラク エコエコザメラク エコエコエコ・・・ (by古賀新一


2007年12月2日mixi日記に若干の変更を加えてあります)