地球温暖化は冷戦終結後のソ連である


環境問題といえば温暖化で、温暖化は温室効果ガスによるもので
温室効果ガス(CO2、CH4、N2O、HFC、PFC、SF6)の排出量を抑えて地球環境を守りましょう、
というのが「京都議定書」のあらましですが、温暖化ガスを削減すれば環境問題は解決するのか?
といえば、当然そんなことはないわけで。


たとえば、この機に乗じて「クリーンエネルギー」として喧伝される原子力発電は、
そりゃ二酸化炭素は出さないかもしれないけれど、当然出てくる廃棄物による
水質・土壌・大気への放射能汚染というまだ解決されていない問題はあるのだし。


たとえばガソリンエンジンディーゼルエンジンは「どっちがクリーン」といったって、
「どっちも大気を汚染してる」ことには変わりあるまいし、
燃料電池車で使う電気はどうやってつくってるんだ、とか
バイオエタノールは「植物の成長過程で二酸化炭素を吸収してて二酸化炭素の排出量は
“プラマイ・ゼロ”だから“クリーン”」って、なんかヘンじゃないか? とか。


たとえばレジ袋とか割り箸にしても、そもそも言われ始めたときはゴミの削減とか資源の無駄遣い
という文脈で語られていたハズなのに、いつのまにか「温暖化抑止」という文脈にすり替えられていて、
それでゴミが減るなら結果的には同じこととは思うけれども、「ゴミを減らす」という意識のないまま
レジ袋をやめたところで、別なもの(自治体推奨ゴミ袋とか)に代わるだけで、
ゴミの総量が減るとは到底思えません。


だのになぜ、環境問題というとこうも温暖化だけがクローズアップされるのか。


第2次世界大戦の終結からソ連邦崩壊までの冷戦体制下で、米国とソ連という2つの超大国によって
保たれていた世界のバランスが、ソ連が崩壊してたったひとつの超大国(米国)に偏ることになり、
それに危機感を持った欧州が編み出したのが、「地球温暖化」という米国への牽制球である、という話↓


 CSR解体新書(1) なぜ「京都」なのか?
 米ソ体制崩壊で危機感持った欧州の策謀
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070621/128005/


ところで自分は、「地球温暖化」がよくないこととは思ってなくて、
人類創成の謎:地球温暖化計画で書いたことは、けっこう本気でそう思ってるわけです。


地球表面の温度が上昇するのは、地球の変位サイクル中のひとつの相だし
「資源の枯渇」といったって、「人間が利用できる形」から別の形に変化するだけで、
それらが地球上から消えてなくなってしまうわけでもないわけで、
何億年だか何十億年だか経てばまた石油になったり鉱物資源になったりという可能性は
十分考えられる(もっと違う形になる可能性ももちろんあるわけですが)。


たとえばここ↓では、


 ホッキョクグマを追い詰めたのは誰?
 “死の宣告”に等しい地球温暖化
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070608/126854/


このまま温暖化が進んで極地が暖かくなれば、そこにいる生物(ホッキョクグマとか)が絶滅してしまう、
タイヘンだ、と言ってますが、いまみたいな状態になるはるか以前、まだ地球が暖かかった時代に
極地にいた生物は、そこが寒くなる過程で死滅してしまったんではないでしょうか。
それはタイヘンじゃないのか。


まあ、何千万年、何億年という時間をかけて徐々に温度が下がれば、暖かいところに移動したり、
環境に順応する生態に“進化”したりで生き延びた種もあるだろうから、
そうした時間的余裕を与えないほどの急激ないまの変化は、タイヘンはタイヘンだとは思いますが。
(個人的にはホッキョクグマには長生きしてほしいしね)

温暖化が進んだ果ての地球は、たしかに人類が生きにくい世界ではあるだろうけど、
言ってしまえば「それだけのこと」でしょう。


ちなみに自分が、マイ箸持ったりレジ袋を断ったりエアコン使わなかったりテレビ持ってなかったり
新聞取らなかったりペットボトル飲料はなるべく買わなかったり移動は地下鉄かバスか徒歩だったり
ゴミを細かく分別したりねこ7頭と同居してたりするのは、温暖化抑止が目的ではありません。
ついでに役立つならけっこうなことだ、とは思っているけど。
まあ少なくとも、ねこは、地表温度を下げるにはなんの役にも立ってませんね。


2007年6月30日付mixi日記に若干の変更を加えてあります)